2023年9月8日金曜日

8月読書会(2023)での”1996〜2004”レポート

8月の読書会 8/26(土)

いつもの公共施設ではない”ブックカフェ”での読書会。しかもその日は、男女共同参画基本法制定の特別な時代のミニ報告会も予定していた。どうなるかな?と少しだけ心配な気持ちをよそにいつものように始まり、カフェのオーナーのおかげで実はとても面白かった。カフェを訪れていた学生さんが途中から参加するという意外性のある新しく楽しい読書会となった。 

<ミニ報告会>

 テキストを読む前に、ジェイさんとケイさんから、当時、男女共同参画社会実現を目指す啓発活動団体で経験されたことを話していただいた。エルさんが資料のスライドも用意していつもの読書会とは一味違う感じだった。
平成8年(1996)の「T市女性懇話会」設置から平成 16年(2004)「男女共同参画社会基本条例」がT市に制定される頃に経験されたことである。 

他市でのプレジェンダー平等活動>

ケイさんがT市に移る前に見てきたのは、プレジェンダー平等活動とでもいうべき時期のことであり、「他の人に働きかけていく前に、まずは自身のエンパワーメント」だったようだ。

その頃、ケイさんが住んでいた関西地方にある女性センター主催のエンパワーメント講座は多種多様でセンターの活動は自由活発だっだ。現在もT市にはない「女性センターと生涯学習センター」の二つのセンターがそこには存在していたことに皆、驚いた。その二つのセンターのそれぞれのありようは実際にはかなり違っていたようであるが、安心して集まれる場所があることが活動を左右することはあるだろうと思う。

その女性センターは文字通り、市民に開かれた施設だったようである。女性センターの執務室の中と外との仕切りは緩やかで市民が普通に執務室に入って行くことができる空間であり、事業運営も職員だけで全て決めて運営するのではなく、利用者(市民)が中心になって講座等の内容や運営の仕方も決めて進める自主企画・活動が主流だったようだ。「あっちでは市民は特に行政や職員をあてにすることなく自分たちでやっていくという雰囲気だった」とケイさんは語った。 

その後、T市に引っ越したケイさんは、男女共同参画の担当課を訪れ、以前住んでいた街と同じように職員のいる執務室に入ろうとしたら制止され、その違いに驚き戸惑ったと言う。この街は”役所”と市民という意識や壁は少し厚いのかもしれない。と思った。

<T市の男女共同参画社会基本条例の制定に向けて> 

 昭和 60(1985)年 「女子差別撤廃条約」批准、雇用機会均等法制定、そして平成 11(1999)年 「男女共同参画社会基本法」公布と国内でも大きな流れが起き、T市でも条例制定をと言う機運が高まっていた頃、ジェイさんは、市の担当課から出席を要請されて平成8(1996)年 市民による「つくば市女性懇話会」に出席した。参加していたのは市内で様々な分野で活躍しているすごい女性たちだった。そしてその集まりをきっかけに一つの「男女共同参画」を考えるグループとして活動が始まった。
そのグループでは、男女共同参画を推進するために「女子差別撤廃条約」をわかりやすく伝えることができるようにイラストをたくさん使った冊子をメンバーで研究しながら作成し、アジア女性資料センターの助成金も得て発行した。この冊子を使って啓発活動を行い参加者に配布していた。小学校にもこの冊子を持参して生徒たちに話をする活動も行ったり署名活動なども積極的に行ったという。その積極的なフットワークのいい活動に、驚かされた。

 しかし全て順調に活動が進んだだけではなく、当時、T市には男女共同参画に反対する論客やそのグループもあり、市主催の男女共同参画社会基本条例の説明会で出会うこともあったという。彼らグループの主張は、男女役割分業意識がたいへん強いものであったようだ。
そしてある説明会で反対するグループのメンバーが、机を叩いたり大声を出したりしていたので、ケイさんが「女は女らしくとおっしゃってますが、昔はああいう人は女らしいとは言わなかった」と発言したところ、「侮辱した!」と怒った彼女とその仲間に取り囲まれた。ジェイさんはその時の様子を「かなり危険だった」と。
「警察を呼んで」と大声で相手を牽制する傍ら言い返したりして退却しないケイさんを、皆で外に引っ張り出して、なんとか無事にすんだという。

 本当にそんなことが身近なところで起きていたんだという驚きとともにそういう時代を乗り越えて、この条例もでき現在につながっていることに感慨を深くした。 

*参考(男女共同参画条例・ジェンダー平等条例の各自治体状況) http://www.rilg.or.jp/htdocs/img/reiki/147_gender.htm

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