2019年11月9日土曜日

2019 10月「ナショナリズムとジェンダー」その2

歴史修正主義の存在

前回の読書会で「ナショナリズムとジェンダー 」について全般的な感想やそれぞれの印象などについて皆で話をした。。フェミニストとしてその時代を牽引してきたた女性たちも戦時下においては、戦争を支える積極的な役割を果たしてきたことについて改めて驚きを感じた。時の政権のあり方を合理的に支えるような歴史修正主義の存在は常に時代に存在する。

「戦争により女性が国民の仲間に」の皮肉

10月の読書会でも引き続き、歴史修正主義や戦争犯罪、慰安婦問題などについても議論した。戦前において女性がこの国の民として存在していないような存在であったが、戦争により國母として女性が国民に位置づけられるようになったという皮肉。フェミニストもそれを免れることはできなかったという事実。
その読み解きのなかで脱構築化・脱自然化という概念がもう一つピンとこないというメンバーのコメントから議論は広がり深まった。

脱構築・脱自然化

何気なくわかったように読み飛ばしていく言葉も一度立ち止まると何も理解できていないことに行き着くようだ。「女性の国民化」により女性がそもそも国民ではなかったこと。そして女性に性別の隔離の戦略(分離型)と性別不明の戦略(統合型)の二つがありここで「差異か平等か」の二者択一を突きつけらえる。しかしそのことが実は男性のみを想定して作られている近代の枠組みの中では女性問題は解決ができないない。脱構築・脱自然化により近代の壁を壊し超えていくことができることを認識せざるを得ないことを共有した。

ジェンダー史の入り口

私たちの前に示される歴史は誰が語る歴史なのか、当たり前の事実として受けれてきたことが果たしてどうなのか反省的女性史をもう一度自分のものとしていくことが必要だと
本当にジェンダー史の入り口に辿りついた気がする。