時間をかけて(かかって)「家父長制と資本制」現在やっと補論|批判に応えて」にきました。ここでは上野さんがフェミニスト側からとマルクス主義者側からの批判に応えてバサバサと切り込んでいくところ(〜P203)。
そういう話の展開の中でエルさんが、”日本語のジェンダーとgenderの違い”についての疑問を投げかけました。「経験上、同じ意味ではないらしいことを知っていても、 ”カタカナのジェンダーは日本語ではなんと説明されるのか” について「男女(共生」が抜け落ちてしまっているからそこも包摂するような表現ではないかしら?」という感想もあり、そうなのかもしれないと思った。
それに対して「”科学的認識”の名の下に性差別的なイデオロギーを押し付けてきた全ての理論を冷笑する」上野氏が”女性の視点から見るとこう見える世界を見え化していく”小気味よさ。